松戸の現場へ水洗いに行ってきました。八柱霊園を過ぎたあたりで急に尿意に襲われて、左側にコンビニがあったらトイレを借りようと思ったのですが、どういうわけかコンビニが見つかりません。信号待ちをして、いよいよどうしようと思った時に、ふと飲みかけのペットボトルが目に入りました。
・・500mlで足りるのかな?
万が一、500mlで足りなかった場合、もはや漏らしてしまったのと同じ結果になります。また、少し残っている分を飲み切ってしまうことにより、更なる尿意が押し寄せてくるかもしれません。
信号が青になったので今回はやめておきましたが、万が一に備えて試しておいた方がいいのかもしれない、と思いました。
妻にその話をしたら、トラックの運転手さんがペットボトルで用を足して、それをポイ捨てするのが問題になっているそうです。もちろん僕はペットボトルのポイ捨てはしないのですが、捨てるのを忘れて車に置いておいたら、デカビタと間違えて飲んでしまうかもしれません。
その日はやけに尿意に悩まされる日で、帰りの渋滞でも我慢することになりました。膀胱炎になりそうです。
最近、先生と呼ばれる方と話をする機会が増えてきました。会社の決算を税理士のA先生にお願いして、建設業許可を行政書士のK先生、亡くなった叔父さんの土地の処分を司法書士のK先生にお願いして、等々。こんな僕も、真面目な顔をして真面目な話を聞いています。 小学校一年生の時、僕が授業中にふざけてばかりいるので、母が学校に呼び出されてしまいました。担任の先生に「この子には協調性の概念が無い」と言われた母は、僕の将来をとても不安に思ったそうです。「協調性」という言葉も「概念」という言葉も知らなかった僕は、小学一年生にそこまで怒らなくてもいいのに、と思いました。 中学校一年生の時、放課後に友達とトランプをしていたら、担任の先生にカンカンに怒られました。もちろんお金を賭けていたわけではなく、強いて言えばプライドを賭けていただけなのですが、全員が一列に並べられてビンタされました。ヒリヒリするほっぺたをさすりながら、暴力で人の心は変えられない、と思いました。 高校三年生の時、倫理という教科でカンニングに失敗した際も、母が学校に呼び出されました。校長室には母と担任の先生もいて、先生の目には何故か涙が浮かんでいました。生徒がカンニングしたくらいで泣いてしまうなんて、あの先生も生きていくの大変よねー、と帰り道に母が言ってました。呼び出されることに、すっかり慣れてしまったみたいです。 そんな僕が、税理士の先生の話を真面目な顔をして真面目に聞いています。わからないことを質問したりしています。お母さん、将光は協調性の概念を覚えましたよ! とか言ってるから怒られちゃうんですよね。三瓶でした。 https://youtu.be/NQMUspZWTiU
重いパイプを何本も運びました。「このスプレーを使うと軽くなるよ」と言われて軍手に吹き掛けてみると、確かに軽く感じます。汗だくで働いているので、スプレーの効果はすぐに無くなってしまい、ああ、そろそろギブアップかな・・と思うと誰かがスプレーを掛けに来ます。何本も何本もパイプを運びました。「あのパイプが一番重いんだよ」と言われ、スプレーを腕全体にまで吹き掛けられたところで目が覚めました。うなされているところを、妻が起こしてくれたようです。
夢の中で働いたので、何となく損したような気持ちになりましたが、あのスプレーだけはちょっと欲しいなと思いました。誰か発明してくれないでしょうか。
何年か前、コーキングを撤去するマシーンを発明しようと思っていました。両脇にカッターが付いてて、真ん中にヘラが付いているマシーンです。
工場の人や工学部の学生とかに相談したのですが、残念なことに話は進みませんでした。試作品を作るだけでも、結構な金額が掛かってしまうらしいんです。日本中のペンキ屋さんのために、僕が動かなくてはならないのですが・・。
マキタとかHIKOKIとかに知り合いがいる方。スプレーの件も含めて、ぜひぜひ相談してみてください。三瓶でしたー。
「アントニオ猪木をさがして」という映画を観てきました。事前に見たレビューでは「途中で寝た」「これでは猪木をさがせない」と酷評の嵐でしたが、迷わず行けよの精神で映画館へ向かいました。隣で観ていた親子は途中で帰ってしまいましたが、個人的には観て良かったと思いました。 ただ、途中で挿入されるミニドラマがあって、その主役の男の子が、僕と同世代なんです。80年代に少年時代を過ごして、90年代に高校生活を送るっていう。で、少年時代のシーンで、猪木がホーガンに負けた試合の話をしていて「今度は絶対に猪木が勝つ」と、悔しそうな表情を浮かべていて、当時、僕もその試合をテレビで観ていたのですが。 ・・あの時の猪木って、そんなに人気あったかな? 猪木ファンって、僕よりかなり年上の世代で、70年代の猪木を観ていた人たちなんじゃないかと思うんです。異種格闘技をやったり、海外で試合をしたり、新しい境地をどんどん切り開いていく時期の猪木を観ていた人たちにとって、アントニオ猪木はヒーローだったんだと思います。 僕が知っている猪木は、苦しい展開の試合をチョークスリーパーで逆転勝ちする人でした。正直言って、あまりカッコよくなかったです。反則だし。 1977年生まれの僕にとって、プロレスのヒーローは天龍源一郎でした。ジャンボ鶴田との試合が、毎週日曜日の深夜にやってたんです。ジャンボのバックドロップやジャンピングニーをモロに受けて、それでもやり返していくその姿は、まさしくヒーローという感じでした。 今度は「天龍源一郎をさがして」という映画をやってほしいです。三瓶でした。 https://youtu.be/tV86ml_-H54?si=n3yB_iWc0CXbdhnY
僕がドラゴンアッシュを知ったのは、ノストラダムスの大予言で有名な1999年のことでした。「俺は東京生まれ HIP HOP育ち」というフレーズで知られる、GRATEFUL DAYSという曲が雀荘の有線で流れた時、新しい時代のドアが開いたように感じました。 ここに綴る歓びと感謝 共に奏でる真の理解者つつみ隠さず時代を描写 PRESSUREはねのけて乱反射注ぎ込もう溢れ出す感情 いつの日にも絶やさない愛情ひるむことなく飛び込む戦場 枯れることなく咲く百合の紋章 これがライムっていうのか、と感動したことを思い出します。「シャ」と「ショウ」で韻を踏むことで、グルーブ感を出してるんですね。I LOVE HIPHOPとか、LET YOURSELF GO,LET MYSELF GOとか、当時の降谷建志は世界で一番輝いていました。甲本ヒロト以来のロックスターが誕生したように思いました。 あれから24年。 降谷建志改めkjが、キャバクラ嬢と不倫した挙句にMEGUMIに捨てられるなんて・・! 太陽のように輝いていたあの降谷建志が、ひるむことなくキャバクラに飛び込んで、真の理解者への愛情を絶やして、JOHへの溢れ出す感情をライムにしていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになります。 それでも、日はまた昇り繰り返すし、LIFE GOES ONです。あの頃の降谷建志が戻ってきますように。三瓶でした。 https://www.youtube.com/watch?v=zSYP29oFBk0&pp=ygUb44Kw44Os44Kk44OI44OV44Or44OH44Kk44K6
メキシコで発見された宇宙人のミイラが話題になっています。日本にもカッパのミイラとかありますよね。カッパはいかにもインチキっぽかったですが、今回の宇宙人はどうなんでしょうか。 個人的には、宇宙人は必ずいる、と思ってます。僕が地球に生まれた宇宙人だから、他の星で生まれた宇宙人もいるんじゃないかな、と考えているわけです。そこの宇宙人も、他の星に宇宙人がいるか議論しているかもしれません そんな話はさておいても、宇宙のことを考えるのは、精神的にいいことだと思います。 例えば、悲しいことがあった時。何で自分ばかりこんな目に合うんだろう、もしかしたら自分のどこかに問題があるんじゃないか、そもそも生まれてきたことが間違っていたんじゃないか・・。どんどん悲観的に考えてしまう人もいると思います。 そんな時は、夜の空を見上げてみることをお勧めします。夜の空には無数の星が輝いていて、宇宙人から見たら地球もあの星たちと同じくらい小さい光なんだろうな、と思うと、悩んでいることがどうでもよく感じられてきます。遠くを眺めるので、目にもいいです。 最近、老眼が入ってきたような気がする三瓶でした。
https://youtu.be/iuu96spZaDA?si=nSHcxLUA2L4yQbm-
こないだの日曜日、飲み会の幹事をやったんです。飲み会と言っても四人だけなので、本来ならそこまで気を使う必要はないのですが、結構グルメな人達が集まる回なんです。
個人的にはビールが一杯300円くらいの、競馬新聞を読んでいるおじさんがいるような居酒屋が好きなのですが、今回はそういうわけにはいきません。何となくリサーチしたところ
①学生が来るような、賑やかなお店ではない方がいい
②多少高くてもいいから、美味しいお店がいい
③ちょっと渋い感じのお店だと、みんなが喜ぶかも
とのことでした。
安くて美味しいと評判の居酒屋みかめに行けばいいのですが、母の前だと僕は借りてきた猫のように大人しくなってしまいます。
妻が学生の時にアルバイトしていた船橋の居酒屋さんが美味しくていいかなー、と思ったのですが、日曜日がお休みでした。
色々と検索して、最終的にイワシが美味しいと評判の居酒屋さんにしたのですが。
Oさん「三瓶さん、実は僕、光り物が苦手なんですよ」
三瓶「・・!」
光り物が苦手な人をイワシ専門店に招待してしまうなんて。完全に盲点でした。
そもそも、何かに特化したお店は飲み会に合わないのかもしれません。馬刺し専門店とか。豆腐専門店とか。
幹事の道は奥が深い。なめろうを食べながら、しみじみと思った三瓶でした。
最近のちいかわは、ずっと島で討伐をしています。連載物のギャグマンガはどうしてもバトルマンガになりがちですが、まさか、ちいかわまでそうなってしまうとは。
まさかこれって・・
ネタ切れ・・ってコト!?
とっても大きなお世話ではあるのですが、コミックスを全巻買っている僕としては、元の日常ほのぼの系のギャグマンガに戻ってほしいわけです。作者が働きすぎなんだと思います。
ジャングルの王者ターちゃんが普通のサイズの単行本になって、バトルマンガになってしまったのは小学校高学年の頃でしょうか。痩せてキレイになったヂェーンを見て、何だか物足りない気持ちになりました。稲中の作者もシリアスなマンガを書くようになってしまったし、ギャグマンガを書き続けるのは、相当にタフな作業なようです。
そう考えると、植田まさしは相当なギャグマシーンだと思います。僕は新聞を読まないので、コボちゃんを喫茶店とかで読む程度なのですが、今読んでもめちゃくちゃ面白いです。喫茶店に置いてあるほとんどのコボちゃんには、誰かがコーヒーを吹き出した跡が付いています。
最近はこれ描いて死ねというマンガを読んでいる、三瓶でした。
小学生の時、夏になると父は波崎の叔母さんの家へ連れて行ってくれました。海で地引網に参加したり、メロンの皮でカブトムシを捕まえたり、楽しい思い出ばかりなのですが、一つだけ心配なことがありました。 叔母さんの家に行くと、何故か必ずおねしょをしてしまうんです。 夜になると叔母さんが心配そうな顔をして、将光用のだから、と、おねしょをしてもいいブラケットを用意してくれました。今年は大丈夫なのに、と心の中で思いつつ、朝になると、やっぱり叔母さんは正しかったな・・となるわけです。実家では毎晩おねしょするわけではないのに、波崎へ行くと必ずしてしまう。心理学的な何かが、波崎の叔母さんの家にはあったのかもしれません。 昭和16年に、六人兄弟の末っ子として生まれた父のお世話は、9歳年上の叔母さんが任されていたそうです。叔母さんの前では、父はいつもよりかしこまって話をしていたように見えました。おねしょをしてしまった朝は、僕もいつもよりかしこっていたと思います。 そんな叔母さんが、先日、91歳で亡くなりました。 とても穏やかな話し方をする人で、怒られたことは一度もなかったです。将光は一生おねしょが治らないのかしら、と言われた時は怖かったですが。あの落ち着いた雰囲気は、十代半ばで終戦を経験したことによるのかもしれません。 東京の砂町で暮らしていた三瓶一家は、空襲に備えて千葉の勝山に疎開したのですが、父とおばあさんは、どういう理由か砂町に残ったそうです。 東京で空襲があった知らせを聞いた五歳上の叔父さんは、おただちゃん(←父のこと)とお母ちゃんは戦争で死んでしまった、と思ったらしく、終戦後、一年経ってから勝山へやって来た二人を見て、幽霊が出たのかと思ったそうです。父が生きていなかったら、当然に僕もいないわけで、なかなか感慨深い話でした。叔母さんにも、もっと色々な話を聞いておけばよかったです。 生前の叔母さんと最後に会ったのは、ペンキ屋になってから数年経った頃でした。波崎の自宅まで迎えに行って、銚子でお寿司でも食べようという話になったのですが、叔母さんは回転寿司でいい、と言って、銚子のくら寿司かはま寿司へ行きました。地元の美味しいお寿司を食べるつもりだったので、少しガッカリしましたが、父と僕に気を使ってくれたんだと思います。あまり贅沢を好まない人だったのかもしれません。 小学校を卒業した時、友達のN君と叔母さんの家へ泊まりに行きました。子供だけで旅行するのは初めてだったので、今でもよく覚えています。行きの電車、ゲームボーイにケーブルをつないで、ファミスタをやりながら銚子駅へ向かいました。三女のFちゃんが駅まで迎えに来てくれて、N君は少し恥ずかしそうにしてました。 縁側の周りにはアリジゴクの巣がたくさんあって、二人でアリが巣に落ちるのを待っていたのですが、残念ながら決定的シーンを目撃することはありませんでした。アリも学習してるんだな、とN君が言ってました。 その後、スタンドバイミーごっことか言って線路沿いを歩いてみたり、夜遅くまでファミスタをやったりして、波崎への旅行は、少年の日の思い出として、今でも僕の心に残っています。寝る前にちゃんとトイレに行くのよ、と言われた時は、余計なこと言わないで、と思いましたが、おかげで恥をかかずにすみました。 火葬する前、叔母さんの家にはたくさんの子供たちが集まっていました。娘三人、孫八人、ひ孫十人。サンデーサイレンスばりの大血脈です。叔母さんから始まって、一人ずつにそれぞれの人生があって、それがまた続いていくんだな、とか思っていたら、目からおしっこが出てきそうになりました。 穏やかな寝顔を見ていたら、色々なことを思い出しました。おねしょは最近してません。安心してお休みください。将光でした。 https://youtu.be/G60GEzInQ8o
この一週間ばかり、一人暮らしをしています。妻が愛想を尽かせてついに出て行ってしまった・・わけではなく、実家の秋田へと旅行に行っているのです。
35歳まで一人暮らしをしていたので、一人で過ごす時間には慣れているはずなのですが、何だか、とってもさびしいです。食事もついつい適当になってしまうので、体調も悪くなってきたような気もします。
こういう状態を、咳をしても一人、とか詠むのでしょうか。
咳をしても一人は、種田山頭火の俳句だと思っていたのですが、尾崎放哉という人の俳句なんですね。分け入っても分け入っても青い山、が種田山頭火の俳句のようです。
そもそも、七七五でも俳句というのでしょうか。咳をしても一人に至っては、三三三です。
ブルースからロックンロールが生まれたような、プログレッシブロックを否定するためにパンクが生まれたような、そんなダイナミズムを感じるような気がします・・!
早く帰ってこないかなー。三瓶でした。