先生
最近、先生と呼ばれる方と話をする機会が増えてきました。会社の決算を税理士のA先生にお願いして、建設業許可を行政書士のK先生、亡くなった叔父さんの土地の処分を司法書士のK先生にお願いして、等々。こんな僕も、真面目な顔をして真面目な話を聞いています。
小学校一年生の時、僕が授業中にふざけてばかりいるので、母が学校に呼び出されてしまいました。担任の先生に「この子には協調性の概念が無い」と言われた母は、僕の将来をとても不安に思ったそうです。「協調性」という言葉も「概念」という言葉も知らなかった僕は、小学一年生にそこまで怒らなくてもいいのに、と思いました。
中学校一年生の時、放課後に友達とトランプをしていたら、担任の先生にカンカンに怒られました。もちろんお金を賭けていたわけではなく、強いて言えばプライドを賭けていただけなのですが、全員が一列に並べられてビンタされました。ヒリヒリするほっぺたをさすりながら、暴力で人の心は変えられない、と思いました。
高校三年生の時、倫理という教科でカンニングに失敗した際も、母が学校に呼び出されました。校長室には母と担任の先生もいて、先生の目には何故か涙が浮かんでいました。生徒がカンニングしたくらいで泣いてしまうなんて、あの先生も生きていくの大変よねー、と帰り道に母が言ってました。呼び出されることに、すっかり慣れてしまったみたいです。
そんな僕が、税理士の先生の話を真面目な顔をして真面目に聞いています。わからないことを質問したりしています。お母さん、将光は協調性の概念を覚えましたよ!
とか言ってるから怒られちゃうんですよね。三瓶でした。